へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

思ったことつらつらと。

最近思ったことをただつらつらと。



2歳1ヶ月の次女に手を焼く日々。

歯磨きさせようとしても、「自分で!」と言って激しく抵抗し、でも自分でもまともにやらず、歯ブラシを投げる。

着替えもそんな感じでなかなか進まず。

チャイルドシートに乗るときも、「自分で!」と車に乗るところから始まり、やっとチャイルドシートにたどり着いてもなかなか座らず、わざとシートの上に仁王立ち。

全てがスムーズに進まないこの日常。
でもふと思ったこと。


この次女のペースにイライラしてしまう原因の中には、「早く仕事に行かなければ」という私の都合が多分に含まれている。

ここで特に先の予定がなく、次女の行動に存分に付き合う時間的余裕があれば、こんなにイライラしないのだろうな。

自分の都合だけで次女を見ている。

次女は別に悪い事をしているのではなく、彼女の成長の過程を生きている。これが今の彼女の人生。

「今」の次女を、もっとちゃんと見てあげなければ。

そう思ったら、少しイライラが収まって体の力が抜けた。

でも、仕事の時間は待ってくれないわけで。やはり、子育てを存分に味わおうと思うなら、仕事なんかしてちゃ駄目だな…。




長女と話している時、ふと「あれ、私、子供達にかける言葉が指導的言葉ばかりになってないか。」と思った。

私の母はまあ良い人なのだけど、子供を思うが故か、何か話すとこの「指導的言葉」が真っ先に出てくることが多い


例えば「子供達と山に行ったよ。」と話したとすると、まず帰ってくるのは「虫刺されに注意してね。迷子にならないようにね。」といったような。

気持ちは分からないでもないけれど、「そうなんだ、よかったね、楽しかったね!」のような、共感する言葉をまずかけてくれた方が話していた楽しいのに。

こんな調子なので、何か楽しい出来事を母に伝えようとしても、また何か言われるんかなーと躊躇することがある。

これを、私もやっていたのではないかと。

長女の会話を聞いて、次女の行動を見て、「親として伝えておかねば」と思うことがあると、まずそれを口にしてしまう。
頭では「共感は大事」と分かっているので、いちおう共感の言葉も口にはするけれど、それはおざなり、追って出てくる指導的言葉。

これじゃ子供達楽しくないよな。

返したいのは、今を共に感じる言葉。

もっと普通に会話しよう。子供との会話を素直に楽しもう。

子供達との「今」をただ楽しもう。
(でも親として言わねばならない事もやはりあるから、その挟み方は悩ましい)


今の子供を存分に味わう。

子供達との今を共に感じる、楽しむ。

今までも、よく「今を大切に」みないなことを言われたことはあったけど、「そんな余裕ないよ」とイマイチ実感が湧かなかった。こういうことなのかなと、少し分かってきたかもしれない。



連日早朝に出勤、帰宅も夜遅くな夫。

子供の事はほとんど私。
腹立たしくなることもあるけど、じゃあ私は誰かに子育てを全てお任せしたいのか、大変なこと全部人任せにして楽できたら満足なのか…と考えたら、そうではなく。

自分の子なんだから、誰かに頼ってメソメソしてないで、自分で育てるんだ、自分で向き合うんだと腹を括ったら、少し怒りがおさまった。
(それにしても夫の職場は大変そう。心身の健康大丈夫かなと少し心配になる。)






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