渦中にある時は深刻に真剣に悩んでいたことでも、後から振り返ってみると「なんであの時はあんなに悩んでいたんだろう…」と思うことが時々あります。
最近の、小1長女の子育てでも然り。
一つは、夏休み〜二学期始めにかけての学童&学校行き渋り。
今振り返ってみると、
そりゃ、決して広くはない学童に一日いれば疲れるよね〜行きたくない日もあるよね〜
夏休みが明けて久しぶりに学校始まって、だるいよね〜休みたいよね~
一学期の間に少しはやんちゃ男子への耐性がついていたかもだけど、久しぶりに会うとやっぱり嫌よね〜
と、一連の長女の様子は子供としては決して珍しくない反応だったのだろうなと思えます。(実際、今は問題なく学校も学童も通えている)
でもその時の私は本当に深刻に悩んでいて、それこそ学校を変えようか、仕事を減らそうか…などなど考えていました。「ああもう、明日こそ教授に時短の相談をしよう…」と何回思ったことか。
今の長女を見ていると、「あの時そこまでしなくてよかった…」と思います。
悩みすぎて、無駄に問題を大きくしていたな〜と感じる。
また、家庭学習でも然り。
夏頃から公文を始め、「Z会は簡単過ぎてつまらない」と言い出したことからZ会をメイン教材から外して、なんやかんやで家庭学習を再構成しました。
でも今振り返ってみると、長女がZ会を「簡単過ぎてつまらない」と言っていたのもただの言い訳で、単純に公文以外に何かするのが面倒だったからなのではないか…と思わなくもない(笑)
だって、「自分で考えて少しずつ進めるね」と言っていた毎日のドリルも、「平日は公文だけで終わらせたい」とかなんとか言って結局やらなかったわけだし。
いちいちいじらずに、あのままZ会を軸に淡々と進めていればよかったかな…と思うときもあり。
でもまあ、家庭学習については現状「公文+自作プリント」の形で落ち着き、自作プリントによってトップクラス問題集と漢字をコツコツ進められているので、結果オーライということにします。
いざ何かに困ったり悩んだりしている子供の姿を目の前にすると、親としてはそんなにドライに考えられない部分もあるし、実際に深刻な問題であることもあるので、一概には言えないけれど。
私の場合、子供の一言動にいちいち揺さぶられすぎ。もう少し親としてどっしり貫く、押し通すものがあってもいいのかなと思いました。
お読みくださり、ありがとうございます。
にほんブログ村