こちらの桜も、そろそろ見納めです。
先日、娘が五歳の誕生日迎えました。
娘が「ケーキにクッキーを乗せたい」ということで、クッキーも焼きました。(家にたまたまあった、ハロウィーンの型で)
五歳になる日がくるなんて、生まれたばかりの頃は想像もつかないくらい遠く感じていたのに、気付けばあっという間に来ていました。
五年前の4月某日午前4時、娘は元気な産声を上げました。
顔にビニール袋を乗せられた母と、「嵐」のうちわを持った父に見守られながら…。
出産前日が検診日で、その時すでに子宮口が5cm開大していたのだけど、家が近いから一回帰りますか~って事になりました。しかし、検診の後からずっと生理痛のような痛みが続き、でもどの程度で病院に行っていいのか迷ったまま、「痛いな~痛いな~」と思いながら就寝。
午前0時頃に痛みで目が覚めて、そこから病院に行き到着1時、4時に生まれました。
なぜビニール袋かというと、私があまりの痛みに内心パニックとなり、「大きくゆっくり呼吸するのだ…」と思い頑張っていたら、過呼吸気味に。
「あの…手が痺れてきました。」と助産師さんに言ったら、「これかぶってて!」と、ビニール袋をばっと渡されました(笑)
そして、「旦那さんは、これであおいであげて!」と、夫が手渡されたのが、病院の備品である「嵐」のうちわだった…というわけです。
なんともシュールな生誕場面。
とりあえず痛くて辛くて、訳分からないまま娘は生まれていました。
会陰切開はしたそうです。(夫いわく、「なんか切ってた」とのこと。)
吸引分娩もしたそうです。(夫いわく、「なんか使ってた」とのこと。)
私はそんな事は全く気づかないくらい、痛いだか辛いだかで嵐の渦中にいました。
ちなみに、産後の「傷」がかなりの激痛で、数日は排尿するのも怖いくらいでした。当然便秘にもなり。
産後数日後に「出そう」となった時は、もう本当に痛くて痛くて、冷や汗かきながら「早くも第二子が…」と、夜中のトイレで一人冗談呟いてました。
(品のない話ですみません。)
娘の出産といえば、思い出すのはこんなことです。
(どうしようもない…)
その後は、一日一日を生活するのに必死の日々。
二歳の頃にちょっとした命の危機がありましたが、(梨状窩瘻という喉の奇形から感染症を起こし、敗血症一歩手前となりました。)ここまで無事に生きてこられたことに感謝です。
生まれたばかりの頃の、親として謙虚な気持ちを思い出して、娘との一時一時を大切にしていこうと思います。
お読みくださり、ありがとうございます。
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