週末、z会の「みらい思考力ワーク」に取り組んでいた長女。
ルールに従って、文字の中から野菜の名前を見つけ出そう…という問題で、最後の一つ「もやし」をなかなか見つけられず。
普段はあまりヒントを与えないのだけど、その日はその後に夏休みの宿題(絵日記)を片付ける予定があり、少し余力を残しておいた方がよいだろう…と思い、ヒントを与えることに。
「スーパーでいつも安く売っている野菜。だいたい20~30円くらい。」
→えー、何?分かんない!
「青白くてひょろひょろした子のことを、〇〇〇っ子という。」
→なにそれ知らない!
結局、ヒントとは関係なしに自分で見つけ出しました。
安い野菜=もやしとならないことに、ちょっと衝撃。
もやしと言えば安い野菜の代名詞なのだけど、普段一緒にスーパーに行く機会が少ないから、当然野菜の値段を知る機会もない。
最近は、ヨーカドーのネットスーパーで毎週の買い物を済ませてしまうことが多いです。
小さい次女がいるから。平日は仕事をしていて週末は忙しいから。
仕方ないと言えば仕方ないのだけど、生活体験の欠如を痛感。
週末にスーパーに行くとしても、次女の散歩がてらで、長女は夫と留守番していたり、別でお出かけしたり。
親に付いてフラッと一緒にスーパーへ…という雰囲気のない我が家。
なんでだろう。
時間の流れに余裕がないからかな。
長女の様子を見て考えるところがあり、習い事の英会話とピアノを9月いっぱいお休みすることにしました。
本人はどれも辞めたくないと言うけれど、一番やりたいのは?と聞いたところ、ダンスとスイミングと。
じゃあ他のは一回お休みしてみよう、ということで。
いつもは土曜日の午後にダンスとピアノが入っているのですが、先週末はダンス一つになっただけでも(親としては)かなり楽でした。
でも、ピアノは一番長く続けている習い事で、長女も先生の事を慕っているようだし、親としては辞めてしまうのは勿体ないな…と思ってしまう^^;
姉の友人のお子さんで、習い事を毎日入れて頑張っていたら、ある時プッツリと糸が切れたように、全て続けられなくなってしまったそうです。
私としても、それが一番怖いです。
本人はどれもやりたいやりたいと頑張っているけれど、気付かないうちにストレスが溜まって、いつかプッツリしてしまうんじゃないかと。
疲れてきたらそれに気付いて「疲れたー辞めるー」と言ってくれればよいのですが。
習い事、本人のやりたい気持ちが一番だとは思うけど、親がどこまでコントロールするべきか、悩みます。
今朝、長女を学童に送る時に「今日は英会話お休みだからね。」と伝えたら、「あーじゃあ今日は学童でたくさん遊べるんだね。」と。
習い事、やりたい気持ちもあるけれど、これも本音なのだろうと思います。
お読みくださり、ありがとうございます。
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