先日、娘から「AちゃんとBちゃん(幼稚園のお友達)、鬼滅の刃の映画観に行ったんだって。私も観に行きたい。」と言われました。
娘は、幼稚園で鬼滅の刃の歌とキャラクターの情報は仕入れてきていますが(よく考えると、どうやって仕入れたのか謎…)、家では漫画もアニメも見せていません。私も見ていないけど、垣間見た感じ、幼稚園児に見せる内容ではないと私は思うので。なんなら、小学生にも如何なものかと思うし。
なので、答えは当然「NO」です。
娘は観に行きたいとごねましたが、そこは譲りません。
「鬼滅の刃は、人がたくさん傷ついたり死んだり、怖い場面がたくさんあるアニメだよ。小さい子供が見るものではないとママは思うから、行かないよ。」と話しました。
娘は、お友達は観に行ってるのになんで~と納得いかないようでしたが、「よそはよそ。うちはうち。ママは良くないと思うから、観に行かない。」と伝えて終了。
鬼滅がどうこうではなく、娘が成長し世界が広がるにつれて、これから先「よそはよそ。うちはうち。」となる問題は増えるのだろうな…と思った一コマでした。
けっこう前に買ったまま、居間の本棚で眠っていたこちらを、先日パラパラと読みました。
- 作者:榎本 博明
- 発売日: 2019/10/09
- メディア: 新書
この中に耳の痛い一節がありまして。
「叱らない子育て」「ありのままの自分(この場合は子供)でいい」といった文言。
いっけん耳に優しく、おおらかな子育て観のような、ポジティブなイメージを持ちます。
しかしこの風潮が行き過ぎた結果、なされるべきしつけがなされていない、子供が打たれ弱くなっている。「叱らない子育て」は親が楽をするための言い訳である。そんな事が書かれていました。
「親が楽をするための言い訳」。
ぎくり…。
娘の育児に疲れて、つい衝突を避けようと、上記の耳に優しい言葉に流されそうになっていた…気配がなくもなかったです。
いろいろ厳しすぎるのかな、これくらい指摘しなくても、子供ってこんなものかな…と、どこまで口を出したら良いか迷うことがありました。
そうやって結局、娘との衝突を避けて、自分が楽な方に流れようとしていたんです。
危ない危ない…。
やっぱダメなものはダメだわ。
冒頭のような場面でもそうだけど、子供にごねられて面倒だから、まあ仕方ないか、これくらいいいか…じゃあいかんいかん。
親として、娘を世に送り出す責任がある。
衝突したってなんだって、ならぬものはならぬと、腹を括ろう、そう思わせてくれた一冊でした。
(そういえば、子供の頃母がよく「生んだ責任がある」と言っていたなと思い出しました。)
しかし、「叱り方」というのはとても難しいなと思います。
相手に届く、聞き入れてもらえる叱り方。
ただ厳しい、怖いだけの人、で終わらない叱り方。
叱るの裏にある愛情、君に届けこの想い…(笑)
詰まるところ、普段からの関係性や、親自身の姿がものを言うのだろうなと思います。
そのベースがあってこそ、「良い叱り方」ができるのだろうなと思ったり。
ベース、できてなさそう…。子育てってやはり難しいです。
この週末は、娘のリクエストでポテトチップスを作ったり(Eテレの「クックルン」を見て)。
(塩味、抹茶オレ味、ミロ味←ココアの替わり笑)
山の方へ出掛けたら猿ご一行様を目撃したり。
星だかヒトデだかのクッションの服を作ったり。
(もちろん娘リクエストです…)
公園行ったり。
こんだけ活動したのに、娘はまだまだやりたいことがたくさんあるそうです…orz
どんだけー。
お読みくださり、ありがとうございます。
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