へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

大学受験の記憶~大失敗だったセンター試験~

私が受験生だったのはもう15年前。

私のセンター試験は大失敗だった。

模試ではずっと満点だった英語も、本番に限って2問ミス。他の教科も惨憺たるできで、英語でなんとか平均を引き上げて8割5分。

国公立医学部はセンターで9割は必要と言われており、判定はどこの大学もC~E判定

ああ、これ浪人だわと、ほぼ諦めモード。
家計の苦しさからずっと「国公立大学に現役合格」と言っていた親も、さすがに見かねて「一浪までならいいよ。」と。

文系科目が得意で、理系科目は本当に苦手だった私。勉強していて、理系科目に限界を感じていた。

もともと文系の分野にも興味があり、法学部に進んで検察官か、または民俗学文化人類学の類にも興味があったので、そちらを学んで博物館の学芸員になるのもいいなと思っていた。

そして、その頃はなぜか京都大学に強い憧れがあった。

一回だけ受けた代ゼミの模試が良いできで、授業料免除の特待を貰っていた。

センター試験に大失敗した私は、

「一浪して代ゼミに通い、文転して京都大学に行こう!」

と、目の前の現実を忘れわくわくし始めた(笑)

でも、あくまで目標は「国公立医学部に現役合格」。
塾の先生と相談し、第一志望の大学は諦め、得意な英語、小論文の比重の高い大学を受けることにした。

二次試験は、数学と小論文(日本語、英語の2つ)。
数学は安定のできなさで、解けたのは5問中3問。小論文は手応えとしてはかなりできていた。

二日目は面接で、4人一組。
この面接で、私は「何か降ってきたのか!?」と自分でも驚くくらい雄弁だった。普段は口下手なのに、質問に対してなぜか本当にスラスラと答えていた。
他の三人(みな男子生徒)が、たまたまおどおどした受け答えだったせいもあってか、相対的に私の印象は上がったかもしれない(笑)

結果は、合格であった。

こうして私は医者になった(ちなみに本番に弱い私は、国家試験でも肝の冷える思いをした)。


しかし社会に出てみると、自分が社会人として、いかに使えないタイプの人間かを思い知らされ、辛くなることが多かった。

この仕事、向いてないなぁと思う事は多く、「あの時、浪人して文転していたら…。」というのは今でも思う(往生際が悪い)。

そんな社会人として低能な私でも、今もこうして職にあぶれず、それなりの収入を得られているのは、大学受験まで勉強を頑張っていたから。

恥ずかしいことだが、今の私は「昔の貯金で生きている」「昔の(高校までの勉強を頑張っていた)自分に食わせてもらっている」感覚が強い。
よく言う「昔の人」か。


大学受験で燃え尽きたようで、それからの私はイマイチ「頑張りきる」ことができない、中途半端な生き方をしているように感じて、もどかしい。

このままではいけない、と思っているんだけど。


でも、違った見方をすれば、およそ堂々とは言えないことだけど、私の生き方から「とりあえず勉強しておけば、人生なんとかなるかもよ?」って教訓を得られるかもしれない(笑)


目の前の勉強、一体何のためになるんだと疑問に思うこともあるかもしれないけど、とりあえず必死にやる今の頑張りが、いつかの自分を助けてくれるかもしれない。

現に私は助けられている。(誰に向けて言ってるんだか)


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夜明けの空を眺めながら、朝の家事をするのが好き。

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娘のリクエストで、食パンにジャムで描いた「ムームー」(ガラピコぷー)。今はこういうことを頑張っている(笑)



お読みくださり、ありがとうございます。


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