へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

この子が何者なのかを見届けたい。

「この子が何者なのかを見届けたい。」

今読み進めている、こちらの本に書いてあった言葉です。

子どもを信じること

子どもを信じること

親と子のちょうど良い距離感を表す言葉として出てきました。

良い言葉だなと思いました。


子供にはいろいろと期待してしまい、ああしてほしい、こうなってほしい、こうするべき、など、つい
親の思惑通りに子供を導こうとしてしまいます。

でも、子供は生まれた時点で、既に「何者か」であり、親の意図の遠く及ばないところで、自分で歩を進めています。


伝い歩きまではいったけど、なかなか歩こうとしなかった娘。

片手でテーブルを掴んだまま、まさにテーブルから手を離して歩きだそうと姿勢はとっているけれど、その手を離せずじっと進行方向を見つめている、そんな時期が続きました。
周りがいろいろアプローチしても、頑として動かず。

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ある日、無事に手を離して歩き出しました。
その時がきっと、娘の中で「よし!いける!」と思った時だったのだと思います。


周りに平仮名を読める子が増えてきても、当初はあまり興味を示さなかった娘。
こちらのアプローチにもつれない反応。

しばらく放っておいたら、ある時から興味を示し、ぐんぐん吸収していきました。その時が、娘にとって「よし、やるか。」と思った時だったのでしょう。


子供は子供のペースで、その子の道筋で成長していく。何を、いつ、どうするかは、子供が決めること。


「何者か」として成長していく子供を、信じて見ていられたら、子育てはとてもワクワクするものなのだろうなと思います。


実際はつい口を出してしまったり、私はなかなか難しそうですが…(^-^;

子育ての距離感って、難しい。

時には手を携えて共に進むサポーター。
ある時は気づかれないようにそっと力を貸す黒子。
またはひたすら見守る温かい傍観者。

親の姿は七変化です。

「見届ける」くらいの少し力の抜けた心持ち、たまに猛進しがちな私にとって、心に留めておきたい言葉です。


娘は結局、2日間幼稚園を休みました。
昨日の夕飯は、家にある野菜と卵で簡単雑炊。
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味付けは「松茸のお吸い物のもと」だけ。便利です。娘もよく食べてくれました。

今日は登園できるといいのですが。
(元気そうだったので「明日は幼稚園行けそうだね。」と言ったら、「まだね、風邪なの。」と、冷えピタやら保冷剤やら出して来ていました…えぇぇ~)



お読みくださり、ありがとうございます。
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