へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

モヤモヤと考えていることをダラダラと。

小3長女の家庭学習。

公文とZ会小学生コースでとりあえず落ち着いていますが、モヤモヤすることがあります。


それは、そこはかとなく漂う「やらされてる感」。


平日は公文だけなのでそうでもないですが、週末の家庭学習では毎度「何をやったらいいの」と聞いてきます。

毎週ほぼ同じ内容をやっているのにこの状態。

しかも「これとこれとこれ」と説明しても、何かしらやり忘れること多し。
ただやらされているだけで、「自分事」として捉えられていないのでは?と思ってしまう。


でも、こういう状態にしてしまったのは私の責任だとも思います。

幼児期からいろいろやらせ過ぎた。

本人の意思の入る余地なく、あれ、これ、と私の考えで進め過ぎた。

そのせいなのかなと。

まだ小学3年生なのでこんなものなのかもしれないし、むしろどんな形であれ公文とZ会をコツコツやっているだけで十分偉いとも思うけれど、やはり「親に言われてやる状態」というのは脱却したい。自分で「勉強しよ」と思って勉強する状態になってほしい。


そのためには一体どうしたらいいのか、モヤモヤ考えている今日この頃。


目的:「やらされてやる勉強」から脱却したい。楽しく前向きに勉強に取り組めるようになってほしい。


・学ぶのが楽しいと思うためには、ある程度自由な部分を残しておいた方がいいのでは。
→公文とZ会はやる気があるようなので、例えば「公文は毎日必ずやる」「Z会は30日までに添削問題まで終える」という最低条件を出し、あとは何をいつやるかは本人に任せる。(グレードアップ問題集等他の教材についてはやるもやらないも本人の自由)
→自由度を高くして、本人の興味に応じた勉強ができるよう余白を作る
(そんな上手くいくのだろうか…ただ公文とZ会しかやらなくなるのでは…いやでもそれだけで十分か。むしろそうやって余力を残しておいた方が勉強に疲れず前向きな気持ちになれるか?)

・親が細かくスケジュールを立てたり、ノートを作ってあげたり、そこまで世話をしなければならない学習(中学受験のような)には、うーん…と思ってしまう。子供本人ができる範囲での勉強でよいのでは。(親の関りを大きく必要とする中学受験にはそもそも無理がある。成長・自立して自分で完結できる大学受験がやはり主)
→そもそも親はどこまで関わったらいいのだろう。
→家庭学習の習慣付け?子供が勉強に迎える環境作り?何をやるかまで親が細かく関わらなくてもよいか?でも子供の知見で判断できることには限界がある。そこは親の助言が必要か。でもその助言が助言にとどまらず強制になってる?

・まああとは単純に、成果報酬…。テストで100点取れたとか、なにか「勉強してよかった!」と感じられるものがないと楽しくないのかな。その点、公文式はいいのかも。自分で成果(計算早くなった、漢字が読める、進度が上がる等)を感じやすいから。

・興味のあることを学ぶのと、学校でやるようないわゆる勉強って、また少し違ってくる気がする。問題は後者をいかに楽しくやるか?後者の楽しさをいかにして見つけられるか?
私の場合、学校の勉強もやる気が出てからはそれなりに楽しくやっていたけれど、大人になってからの勉強の方が楽しい気はします。テストの点数とか期日とかあまり気にしなくていいからかな?今の職場も大変な事は多いけど、勉強する事がたくさんあって楽しくもある(それだけ医者として無知ってことだ…)。


まあそんな感じであれこれ考え中です。

まだ小学3年生だから、失敗しても挽回できるし。

一回手放してみてもいいのかも、と思っています。



また、もう一つ気になっているのが長女の時間管理。

いったん漫画を読み始めると、私が声をかけない限り永遠に勉強しないで漫画を読んでいそうな勢いです。
だいたいいつも「何時から勉強する?」と声をかけています。そして「〇時から」と答えても、結局漫画に夢中になりその時間を過ぎているという。

言えば素直に勉強するのでまだいいのですが、まあこの「言われてやる」状態をどうにかしたい。私も言いたくないし、長女も言われたくないだろうし。

ここで私が「漫画禁止!」のように漫画を取り上げてしまえば話は早いのだろうけど、それじゃあ根本的な解決にならない。結局それも「親に言われて」やる状況にさせられているのと同じ。

テレビについても同じです。夜、勉強を終えた後にテレビを見ていて、ついつい続きが気になり止められず、声をかけてもなかなかお風呂に入らない。

ここで「テレビ禁止!」としてしまえば話は早いけど、それでは意味がない。
それにそんな禁止、禁止って。のんびりテレビ見たいがな。


これまたモヤモヤ考え中。


・親が言ってやらせる、禁止、制裁といった押さえつけるコントロールには限界がある。根本的に必要なのは「本人の意思を引き出すこと」「本人が自分の頭で考えて、自分で自分をコントロールして動けるようになること」

・子供も一人の人格である。親が上から押さえて管理するのではなく、本人の意思を汲みながら行動変容を促す、サポートする。

→対話。

 私が長女に一方的に説教するのではなく、長女自身はどうしたらよいと思うか、長女と対話しながら解決策を探る。


ということで、テレビとの付き合い方について、長女と先日ちょっと相談。

私「テレビ、だらだら見てるとお風呂に入る時間が遅くなって、寝る時間も遅くなるでしょ。私も毎回怒るの嫌だし、長女ちゃんも怒られるの嫌でしょ。テレビとの上手い付き合い方を考えようよ。」

長女「じゃあ、20分だけにする。」

私「うーん、でも、さあこれからどうなる!?って時に、はい20分終わり~って、辛くない?続きが気になるでしょ。」

長女「うん、無理ー。」


そういえば、新聞の番組表の見方を教えてなかったなと思い、「こういうのがあるんだよ。」と見せてあげました。

「例えば番組表を見て、「この番組が見たいな、8時からだな、じゃあ先にお風呂に入っちゃおう」とか。計画を立てられるといいのかもね。」と。


昨夜は番組表を見て、「今日は8時からの動物なんちゃらを見たいから、その前にお風呂に入る。」と言い、夕飯の後に勉強を済ませて、先に一人でお風呂に入っていました。

こうやって少しずつ、自分で考えて動けるようになるといいなぁ。



親からバツっと制限をかけてしまえば楽なのだろうけど、自分で自分をコントロールできるようになることが大人への道。そのための練習だと思って、何事も対話しながら根気強く解決の道を探ろう…。


最近感じるのは、「親があれこれ言って、どうこうさせる。」というのは無理があるし、なんかやってて虚しいよなということ。


勉強してほしい、本を読んでほしい。

そう思ってあれこれ言ったりやったりしましたが、長女の中に根本的なものを育てることはできなかった気がします。


子供をどうにかしようと思わない。

私自身が楽しく勉強して。

私自身が読書を楽しんで。

そうやって楽しそうな親の背中を見せる。


楽しくいろいろな話をする。

じっくり子供の話を聞く。

対話する。

子供の心を満たして、落ち着ける家にして。


親は土壌作り。
そこから子供が自ずと伸びていけるような、そんなふうにできたらいいんだろうなぁ。


私の場合、こうやっていろいろ考えても上手く実践できないのが残念なところなんですけど。



あとは最近、とまと先生を見習って、気になったことはとりあえずスマホでいいから調べる、とりあえず呟く、を励行中です。


呟きの一つとして、朝日小学生新聞(長女のために購読している)を見て、目についた記事をちょろちょろ呟くようにしています。

一昨日の天声こども語に書いてあったのですが、太平洋戦争の始まりは真珠湾攻撃とする見方が多いけど、1931年9月18日の柳条湖事件だとする見方もあるそうです。

ちょうど今読んでいる本がこれで、

時代背景がどんぴしゃりだったので、ほぉ〜と思いました。

やはり歴史、地政学は面白い、と思える一冊です。

ちなみに、天声こども語は最近は私が毎日お風呂上がりに音読しています。(長女は学校の宿題で別の音読をしているので)
長女は半分聞いているような聞いていないような…ですが、別にそれでいいやと。

一昨日も音読の後、「へぇ〜、ママが今読んでいる本がちょうどこの時代の話さぁ…」と勝手に喋りました。とりあえずおばさん喋ろうと思います


あとは悩んでこんなのもパラパラ読んでます。


ちなみに最近長女が読んでる本。

深海魚でさえイケメンなのかー。

こちらはコロコロ課題図書(コロコロを買うために、毎月一冊課題図書を設定している)。
くもんの推薦図書から長女が選びました。



ごちゃごちゃ考えるけど、つまるところ子供と一緒に楽しく過ごして、楽しく学んでいきたい。そういうことなんだー。