へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

専業主婦の価値

6月1日の読売新聞「人生相談」の欄で、こんな相談がありました。

(思う事をつらつら書いた、特に結論のない記事です。)


相談者は30代女性会社員。
「私は努力して国家資格を取って、正社員の職を得ました。結婚後も夫に頼らなくていいように、経済的自立のために仕事を続け、かつ家事も工夫して努力しています。夫の稼ぎでなんの努力もせず生活している専業主婦の友人や義母が許せません。」
といった内容のもの。


これに対する著名人の回答。
「そもそも経済的観点で専業主婦の価値を計ろうとするのがナンセンス。専業主婦の労働を賃金に換算するといくら…という考えも同様のロジック。専業主婦は"常に家にいる"という、家族にとってプライスレスな価値を提供している。あなたの怒りはお門違い。」

というもの。

これを読んで、頭をガツンとまではいかなくても、コツンと小突かれるような気持ちになりました。


まずは相談者の考えも、なんとなくは分かります。
旦那さんの稼ぎでのんびり生活できていいなぁと、専業主婦の方に対して思うことが、全くないわけではないです。

でも、どんな立場であれ何かしらの苦労はあるだろうし、私は自分で選択してこの生き方をしているのだから、別に怒りまでは湧いてきません。

一方で、回答はとても腑に落ちるものでした。

「いつでも家にいる」安心感。
これは確かに非常に価値のあるものです。特に子育て家庭において、「お母さんがいつも家にいる」ことは心強い。

私も小学生の頃、帰り道で男の子にランドセルを蹴られ、ショックで泣きたいのを必死に我慢して帰り、家に着いて母の顔を見た途端わあわあ泣き出した記憶があるので、これはよく分かります。(この記憶があるので、私は今でも子供に「おかえり」を言える生活を夢見てしまいます。)


家庭での労働と社会での労働、全く質が異なるものです。いくら家事労働を「賃金いくらに相当するのよ!」と息巻いても、家庭内で完結する仕事です。社会での実際に賃金が発生する仕事とは、責任の重さが違います。

家事は疲れていればサボることもできるし、失敗しても家が散らかるか皿が割れるか、料理が焦げるか、家族に文句を言われるか。

社会での仕事は簡単に休めないし、失敗すれば巨額の損失があるかも知れない、人命に関わるかも知れない、広く社会での信用を失うかもしれない。

「労働」という同じ土俵で比べようとすることに無理がある。

というか、比較すること自体が間違いなんでしょうね。

どちらがどれだけ大変か、価値があるのかを競うことは全く建設的ではなく。
それぞれにどんな価値があって、どちらの選択が自分や家族にとって適しているのか。

そこを判断するだけ。

「いつも家にいる安心感」を家族に提供することに関しては、専業主婦の独壇場です。

とても印象に残った記事でした。

他に感じたことは、「自分はこんなに頑張っている」から、周りの緩さに怒りを覚えてしまう心の窮屈さ。自分もともすれば陥りがちです。

この相談者さんの怒りは、私の立場に置き換えれば「子育てしながらフルタイム勤務、当直もこなすバリバリ女医」が、「時短勤務、当直なしで緩く働く女医」の私に対して「私はこんなに頑張っているのに、あんたももっと働きなさいよ!」と怒りを覚えのと同じ構造でしょうか。

いやー…、余計なお世話です。

私は自分の適性や環境を考慮して、今の働き方を選択しました。別にいい加減に生きているつもりはありません。

バリバリ女医さんがどれだけ苦労するか、どれだけ頑張るか、それはあなたが自分で決めたことだ。その価値観を他人に強要するでない。

…と、勝手に脳内討論をしてみました。

つまりは、自分は自分。他人は他人。
もっとニュートラルな気持ちになりたいものです。



週末は、お決まりの公園三昧でした。

一遊びして、アイスクリームを食べるとき…

「もうお姉さんだから、一人で食べるの。」
と、突然の独り立ち宣言。

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少し離れた所で、アイスコーヒーをすすりながら見守る私と夫。
時々こちらを振り返っては、「見ないで。」と牽制してくる娘。

そんな~(笑)

私も子供の頃、母と電車に乗った時によく「一人で座るの。」と一人旅気分を味わったものでした。
懐かしい~。



お読みくださり、ありがとうございます。

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