最近、娘の「なんで?」期が再燃したような気配です。
昨日のお風呂にて唐突に。
「ねえママ、なんでゴールボールってみんな目隠ししてるの?」
ゴールボールとは、視覚障害者のスポーツ。
アイシェード(目隠し)をして鈴の入ったボールを投げ合い、ゴールを守るスポーツです。
(私も障害者スポーツの研修で体験しましたが、健常者がやっても楽しいスポーツです。)
「そうねぇ。視覚障害…目が見えないといっても、その人によってどれくらい目が見えないかは違うのね。全く見えない人もいるし、少し見える人もいる。そういった違いをなくして、みんな同じように見えない状態にするために、目隠ししてるんだよ。どっちかのチームは全然見えない人ばかり、もう片方のチームには少し見える人がたくさんいる…とかだと、不公平、ずるいでしょ。」
「ふーん。」
と娘。なんとなく理解してくれたようです。
そしてその後、翌日(今日)が終戦記念日ということもあり、「明日、8月15日は終戦記念日、日本とアメリカの戦争が終わった日だよ。覚えておこうね。」と話していたら(8月6日には広島、8月9日には長崎の原爆のことを話していたこともあってか)、
「ねえママ、どうして8月15日は戦争が終わった日~とか覚えておかなきゃいけないの?」
と言われました。
うーん、そう言われれば…。しばし考え込みました。
私としては、幼い頃から父に教え込まれて、知っていて当たり前のこととして捉えていました。
でも確かに、歴史を勉強する意味とはなんでしょう。
「そうだねぇ。昔の人達がどういう事をしてきたかを知ることは、自分達の未来を考える上で参考になると思うんだよねぇ…。昔の人達はこういう間違いをしてきたのか、じゃあ自分達は気を付けよう…とか。」
と、その場は苦し紛れに答えました(^-^;
娘は分かったような分かってないような反応。
すまん…。
歴史を勉強する意味とは…今朝もランニング中に考えたけど、ピンとくる答えが浮かびませーん。
娘の質問へ答えるのには、けっこう頭を使います。
子供にも分かるような、基本的な言葉を使って説明するためには、対象を分解して「そのもの」を理解していなければいけません。適当な熟語なんかで誤魔化せない。
それに、今回のように「なぜ歴史を勉強するのか」のような、本質的なことを聞かれてドキッとすることもあります…。
でも一方で、娘の質問は私自身の気付きの良いきっかけになるし、アウトプットの練習にもなります。やはり「教える」ことは一番の勉強だ…。
私自身の大きな欠点なのですが、「へーそうなんだ。」「そんなもんだよね。」と、事象をありのまま受け入れてしまうところがあります。
「なんでそうなるの?」「どういうことだ?」とあまり疑問を持たない、考えなしなのです。
学生時代まではそこまで大きく意識することはなかったのですが、社会人になってからやっと「ここがダメだったのか」と気付きました。でも、そのままズルズル…。
仕事やプライベートで接する周りの人達や、ブログで出会う人達を見ていると、やはり「そこに切り込むのか」と感嘆することが多くあります。
最近、娘の子育てを終えた先の自分(まだ二人目を諦めたわけではないのですが笑)を考えるようになりました。
頭の中の大部分が子育てに染まっていた自分はそろそろ終わりにして、自分自身の中身もしっかり充実させたいと思います。(子育てのことを考えるのはそれはそれで楽しいし大切なのですが、それだけにならないように。)
本を読んでも、「へー」で終わってしまうのですよ…orzお読みくださり、ありがとうございます。
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