へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

無駄でもいいじゃない。おばさんの戯言。

先日、朝のNHKラジオにて。

ゲストの六角精児さんが「最近の若者は無駄がないよね。最短距離で目的に行こうとする。」というお話をされていました。
「僕なんかは無駄の多い人生で、その中から大切なものを紐解いて生きてきたから。」と。
そこで「だから最近の若者はダメだ」とならないところが六角さんらしいな〜と思いながら聞いていました。

また、同じ日のこども新聞。

ノーベル化学賞を受賞された北川さんの記事があり、「学生には無用の用を大切にするよう伝えてきた」と書かれていました。


この2つを目にして、最近私の中でもやもやしていたものが、一層掻き立てられました。


上手くまとめられないと思うので結論から先に書くと、

「便利になる程、人間個人の能力は落ちていくのではないか」

そして、

「「無駄」に不寛容な社会、温かい眼差しを向けられない社会は、どこか冷たい。」

ということです。


もやもやのきっかけは、数か月前。

職場で英語論文を読んでいたところ、教授が通りかかり、「先生、そんな真面目に読まんでも、翻訳サイトで訳してちゃちゃっと読めばええのに。」と言われました。

まあ、そうなんですけど…。

英語力の拙い私としては、英語の勉強も兼ねて翻訳サイトに頼らず原文を読むようにしていました。
でも確かに、我々の仕事は医学について思考して実践することで、英語の勉強は本来の仕事ではないのです。なのでそこは省いて、もっと本流の部分に時間を割くべき…という考え方は確かにそうとも思う。特に教授なんかは留学もしていて海外での仕事も多いので、英語力云々というレベルではないのでしょう。

でもやはり、発展途上の私としてはいろいろな部分で研鑽を積みたいという思いもあります。ここで翻訳サイトに頼っていたら、せっかくの英語力を磨く機会を失ってしまうという危機感。あとやっぱなんか医者たるもの英語で論文読めなきゃという変な意地?(だって昔の医者はドイツ語もできてたわけだし)

結局私の中では後者の思いが勝り、かついちおう翻訳サイトを試してみたもののなんか読みにくく、訳に違和感があって原文を確認することもあったりで煩わしいということで、原文をそのまま読むのを続けています。

そこから私の中でずっとモヤモヤしていました。
「便利になるにつれて、人間の能力は落ちていくのでは」と。

機械なりAIなりに頼る部分が増えると、もともとは自分で担うことで得られていた経験、そこからの学びがごっそりなくなるわけです。
その分もっと重要な部分に時間を割ける…と考えることもできるけど、そんなにうまくトレードオフできるものなのか?

そう思い、現代の便利さを素直に享受できない自分がいます。(食洗器とか使ってるけど)


そんな時に聞いた、六角さんの言葉。

最近の若い子…ってあまり言いたくないけど、最近の世の中は「無駄を省く」志向が強いような気がします。コスパ・タイパ…あまり好きな言葉ではありません。(冗談で使うことはあるけど)

受験勉強のように、期限や結果をシビアに求められるものはまた話が別ですが。

世の中が便利になるにつれて、「無駄=悪い」みたいな風潮になっているのだろうか。

六角さんも北川先生も、「一見無駄と思えることの中にも、大切なことはある」と言っていました。本当にそう思います。というか、本当に無駄なことってそんなにない気がします。だいたいのことは何らかの肥やしになるんじゃないだろうか。直接的、直線的な到達点ばかり見すぎじゃないの。世の中そんなにスマートなことばかりじゃないよ?

そして何より嫌だなと思うのが、無駄を許容できる気持ちの余裕がなくなること。無駄と思えることの向こうにある、人の気持ちに思いを馳せられないこと。最近の若い医局員の子を見て思いました。もっとこう、「しょうがないなあ」という気持ちで、ゆらりとお付き合いしてくれてもいいんじゃないの。

「無駄のない社会」って、なんだか冷たい気がして心配になります。


以上、おばさんの戯言でした。

これからの世の中が、温かみのある平和なものであることを願います。