娘がどんな子に育ってほしいか、いろいろ考えるけど、ぽわんと頭に浮かぶのは「優しい子」。
子供はどうやって優しさを学ぶのだろう。
人間の本能として備わっている、内なる優しさもあるだろうし、他には「他人から何かをされて嬉しかった気持ち」つまり他人から優しさを受け取った経験から学ぶものもあると思う。
私は、娘に優しくできているだろうか。
もし娘が誰かに「お母さんは優しい?」と聞かれたときに、娘が「うん。」と答えてくれそうな根拠が思い浮かばない…。
しょっちゅうイライラしているし、娘に声をかけるときは指示やらお説教やらが多い気がする。
親に優しくされた経験は、きっと子供を優しくする。逆も然り。
例えば子供が転んだとき、「なにボケッと歩いてるの!ちゃんと足元を見てないからでしょ!」と親に叱責された子供と、「大丈夫?痛かったね。」と優しい言葉をかけられた子では、友達が失敗した時にかける言葉が違ってくるかもしれない。
そんな事を考えて、今までの自分の態度を思い返して、うすら寒くなった私。
遊んでいる様子を見ていると、娘はおそらく優しい子。でもその優しさを奪う人間がいるとしたら、その最たるは私だろうと。
そんなこんなで、娘と接する時の考え方を変えてみようとしている今日この頃。
でもその時によく迷うのが、「自立を促すことと優しくすること」のバランス。
我が娘、自分で靴を履こうとしません。
自分で履けるし、自分でちゃんと履くこともあるのだけど(幼稚園では当然自分で履いている)、かなりの割合で「履かせて」です。
履けるのに、なぜ履かないのか。
甘えなのかめんどくさいのか、何か理由があるのか。「自分で履こうよ。」と促しても履きません。
何か理由があって「履かせて」とお願いした時に、履かせてもらえたら嬉しいだろうし、「自分で履きなよ。」と突き放されたら悲しい。
でも、自分でやる経験を積まないと、いつまでも靴を履くときにモタモタしたまま。
どうしたら良いのだか。
そんな事でしょっちゅう迷いつつも、でも娘が頑として履かないのなら履かせるしかないし、オムツと一緒で「いつまでも履かせてもらってる人はいない。」と、のんびり構えていれば良いのだろうか。
そんな事をいつもグルグル考えてばかりです(^-^;
(夫にはいつも考えすぎだと言われるけど…)
娘と二人の休日。
金曜日は雨だったので、主に家遊び。
スライム大量製作。
今日は晴れたので公園へ。
暑かったけど、木陰は風が涼しくて気持ちよかったので、外でお弁当を食べました。
アスレチックで逞しく遊ぶ。
夕方はお絵描き。
ブイブイ戦隊ブイブイジャー(作者:わたし)
娘に「ヒーローを描いて」と厳しいリクエストをされ、けっこう頑張って描いたのに、夫には「Vがくどい」とこれまた厳しいダメ出しをくらいました。あんたねー。
お読みくださり、ありがとうございます。