とっても可愛いわが娘ではありますが、やはり育児には疲弊します。
最近も、私が何か注意したりするとすぐ「もぉ~!」とプンプン(しかもちゃんとほっぺを膨らまして怒る)。
どうしたらいいんじゃーい!と悶々しております。
そんな時に言われると、ちょっと元気が出る言葉…
先日、母に娘の子守りをお願いしたことがありました。後日、母と電話でその時のことを話した際、こう言われました。
「◯ちゃん、いろいろ話してくれてね~。本当に面白い、賢い子ね。ああも賢いと一筋縄ではいかないから、親は大変だろうけど。」
ちょっと元気が出ました。
そっか、うちの子が大変なのは、賢いからなのか。
ここにばか親一名。
まんまと言葉の魔法にかかりました。
私が勤める診療科では、運動発達に遅れのある子のリハビリもしています。
診察室の隣に訓練室があり、日々子供達が通っています。赤ちゃんの泣き声をBGMにカルテを打つ日々。
歩行器で歩行訓練をしている子が、診察室の前で立ち止まり、「あー!」「いゃー!」と挨拶をしてくれたり、高速ハイハイで診察室に侵入してきたりと、微笑ましい場面もあります。
でも、そこは赤ちゃん。
やはり訓練が嫌な子は泣くわけです。訓練中ずっと泣き通しの子もいます。
お母さんは、泣く我が子を前にぐったり。いろいろな思いが募るのか、泣き出してしまうお母さんもいます。
小児リハビリを担当しているのは、自身も障害児を育てているベテラン療法士さんです。
その療法士さんは、泣いている子を前によく言っています。
「ちゃんと分かっているから泣くんだよ。賢い子だね。お母さんは大変だけどね。」
「意思表示がしっかりしてる。意思の強い子だね。」
などなど。
「うちの子、なんで大変なんだろう。」と落ち込んだ時に、
「(ネガティブ要素)だから◯◯」よりは、
「(ポジティブ要素)だから◯◯」と考えた方が、少しは元気が出ます。
見方を変えれば、見え方は変わる。
ものは言いよう。
そっかー、うちの子がこんななのは、賢いからなのね!と思えば、子供の大変な部分も輝かしい才能の現れに見えてくるかもしれない。
全てをそれで決着させてはいけないだろうけど、親がとりあえず一瞬でも元気を出すには良い手段かもしれません。
少し前の読売新聞のコラム「編集手帳」で、遺伝形式の「優性、劣性」を「顕性、潜性」に改める云々の問題を題材にしていました。
「昔、自分は数学で苦労した。数学力に劣る遺伝子のせいかもしれない。」
と、子供の数学力について危惧する親の心情を、
「自分は数学で苦労した。才能が潜んでいただけかもしれない。」
に言い換えて、「使える!」と締め括っている、面白いコラムでした。
ものは考えよう、言いよう。
まあ、娘が怒りん坊なのは、賢いのでも何でもなくて、私の言い方が良くないんだろうけど…(それこそものは言いようだー。)
最近は「プリンセス」や「アイドル」が好きな娘。
幼稚園での流行りの遊びは「プリキュアonステージ」らしい。(お友達と役を決めて、ちゃんと台に乗って歌ったり踊ったりするそうです。そして先生にしっかり拍手を求めるという…)
お読みくださり、ありがとうございます。