何かと問題になる、高齢者の運転。
私自身は、運転に年齢制限を設けたり、更新基準を厳しくすればいいのに…と、厳しい目で見ていました。
そして73歳の自分の父は、どう考えているのか気にはなっていました。
先日帰省した時、父がシルバー大学の課題でまとめていたテーマが、「高齢者の運転」。
最後のまとめ方に悩んでいた父に相談され、私もスライドを見せてもらいました。
内容の方向性としては、「自分の能力を過信せず、安全運転を続けて活動的な日々を送りたい。」というもの。
あ~、やっぱり運転は続けたいのか。
父は今のところ、おそらく認知機能、身体機能ともに明らかな低下は見られません。ボランティアやらマラソンやら、活動的な方だと思います。
そんな元気な高齢者からしたら、年齢だけで免許を取り上げられるのは納得いかないでしょう。
今の高齢者は、私達を育ててくれた人達。今の日本を作ってきてくれた人達です。
数十年間せっせと働いて、さあ仕事を終えて楽しみを~となった途端、「年寄りは大人しくしていろ」では、確かに酷い話です。
「運転を諦める」ことは、自分の老いを認めることでもあり、それは少なからず自分の尊厳が傷つくことでもあると思います。
「おじいちゃん、もう危ないから運転辞めなよ。」
と周りから言われたり、
「わたしも、そろそろ運転を辞めた方がいいのだろうか…。」
と、自分で思ったり、それでもなかなか辞められない背景には、加齢または疾病による認知機能の低下で判断力が落ちているのかもしれないし、なかなか辞められない社会背景(例えば公共交通機関の乏しい田舎…まさに私が住んでいる県のような)があるのかもしれないし、自分の尊厳を守るために意地になっているのかもしれない。
問題の背景は、本当に複雑だと思います。
高齢者から運転を取り上げても暮らしていける社会の仕組みも必要だし、運転にしがみつかなくとも高齢者がプライドを持って暮らしていける社会の雰囲気(これは、高齢者自身と私達、双方のアプローチが必要)も大切。
年長者への敬意は、忘れてはいけないと思います。
中には、「こんの~◯△×□!!」と言いたくなるような方もいますが…。
父には、「やっぱり、周りの意見に耳を傾ける姿勢と、自分の能力を的確に把握しておくことが大切なんじゃないかな。」と話しました。父は、「そうだな。じゃあそこを強調しておこう…。」とスライドをいじっていました。
(でも、認知症などの疾病の場合、病識の欠如でそもそも周りの意見を聞き入れること、自分を客観的に見ること自体が困難な場合もあります。その場合はまた別の強制力が欲しいものです。)
別に、高齢でも運転能力に問題がなければ、運転していても特段問題はないと思います。加齢に対する一定の配慮は必要ですが。
若くても、危ない運転の人はわんさかいますし…。(私も気を付けねば…)
娘の工作。
日曜日の夜、「うさ子ちゃんはうさぎ小学校に行くから、ランドセルと教科書を作ってあげなきゃ!」と突如思い立ち、製作を始めました。
ランドセルの形は私が描きました。
うさ子ちゃんの名前は、「あちらちゃん」だそうです。
教科書も作って、ちゃんとランドセルに入れて(貼って)あります。
ちなみに、うさ子ちゃんは小学校6年生だそうです。意外にお姉さんなのね…。
お読みくださり、ありがとうございます。