へたれお母さんの雑記帳

2015年生まれ長女・2021年生まれ次女を育てる、へたれママ医師の日記。

子供をもって分かった、小学校から子供を私立に入れる意味

私が住むのはとある地方都市です。
県内にはキリスト教系の私立小・中学校がいくつかあります。
偏差値的にはもちろん、大したことありません。

子供が生まれる前の私は、こんな地方で、そのような学力的に特段レベルが高いわけではない私立に、わざわざ小学校から入れることに対して、「いったい何のために入れるのか。お金をドブに捨てるようなものではないか。」
と思っていました。

ですが、自分がいざ子供をもってみると分かりました。
「環境」のために、そういう選択肢もあるのだということです。


我が家がこの土地に家を建てるとき、最初は市内でも人気の学区内に土地を探していました。
でも旧市街故に土地はあってもべらぼうに高かったり、変形地だったり。
マンションも考えましたが、夫の戸建て希望により断念。
少しエリアをずらして今の土地を選びました。
今の土地は、とても良い環境です。


ただ一つ…「中学校が荒れているらしい」

これを聞いてから、「私立もありか…?」この考えがむくむくと生まれました。

市内には、キリスト教系の幼小中学校があります。
教育にも力を入れており、卒業生の約4割(微妙な割合ですが)は県内トップ校へ進学、または年度により開成、慶應などもちらほら。
小学校は学童も併設されており、習い事もできます。共働きには助かります。


幼稚園もあるので、見学に行きました。
モンテッソーリ教育の方針とのことで、園内の環境はとても整っていました。
庶民の私は、そのキラキラした雰囲気に「うわっは~♪」と舞い上がり、この園に入れようかなと本気で考えていました。

…しかし、何とな~く「違和感」。



私は北関東の田舎町で育ちました。
家はどちらかと言うと貧しい方でした。
学校は当然ずっと公立小中高。
大学に関しては私立に行けるお金も、浪人するお金も当然ないため、「国公立に現役合格するように」とずっと言われて育ちました。

北関東でも都心への通勤圏だったため、小学校の同級生の中には、中学受験をして東京の私立進学校に行く子もいました。
とても羨ましかった。


大学一年生の教養科目で物理があったのですが、とても変わった先生でした。(割れたメガネフレームをセロハンテープでくっつけて使っていた…)

試験は口頭試問で、半分は雑談でした。
口頭試問の最後に言われました。
「お前は育ちが悪そうだな。」

「…!?」
いちおう貧しいながらも、厳しい両親にしっかり育てられたつもりの私は驚愕しました。

すると先生は続けて言いました。
「違うよ。庶民的だなって事だよ。良い意味だ。」

良い家柄の子が多く集まる医学部で(国立でしたがやはり医者家系、官僚、大企業の家が多かったです)、ともすればコンプレックスだった自分の育ちを肯定されたようで、私はとても嬉しかったです。


そんな事のあった私。
子供にも、公立校で逞しく育ってほしいと考えていました。
社会人になって相手にするのは「俗世間」です。
公立校で、いろいろな生徒がいる中で揉まれて育ってほしい、私立小中のように「均一な」環境で育ってしまうと、俗世間から感覚がずれてしまうのでは?そんな風に考えていました。

恥ずかしい話ですが、自分には「雑草魂」「下剋上」(?)でここまで来たという自負があるようです。

…そうです。私はただのひねくれた貧乏人の田舎者です(笑)


私の違和感は、どうやらここから来ているようです。

公立の「雑多な」環境で育った私にとって、私立の「均一な」環境は、危険なもののようにも感じられました。


一方で、私立の教育熱心な環境で切磋琢磨することで、子供の能力をどんどん伸ばせるのでは、という期待もあります。
でも、それって家庭でも補えるものでは?とも。

お金もかかります。
我が家はそれほどお金持ちではないので、「そこまでお金を払う価値はあるのか?」とコスパも考えてしまいます。

いろいろな考えが錯綜しています。

小学校入学の時期まで、時間をかけて考える必要がありそうです。


ちなみにその幼稚園は、願書受付開始から数時間で定員に達し締め切ったそうです。
地方都市でも、教育系幼稚園は人気なんですね。


今うちの娘が通うのは、「遊びこそ子供の学び」という方針の自由な園です。
毎日、園庭で拾った木の実やら葉っぱやら、先生と作った工作やら、わんさか持ち帰ってきます。

そんな娘の姿に、安心している私がいます。


お読みいただき、ありがとうございます。

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